香山リカ(精神科医)
「死にたいんじゃない。生きていくためには切らなければ。」
自傷癖のある少女が診察室で語った言葉が、
作品を見ているあいだ、ずっと心にこだましていた。
しいなえいひ(女優)
ピカソ
空
海
瞳。
あたしにとって青は、いつだって哀しみの色だった。
終わらない青。
傘をさした楓が佇む冒頭のシーンで、この映画の「青」が、全てわかった気がした。
世の中はいつだって、鈍感で残酷なエゴで覆われてるけど、
空は、空だけは、どんな時も変わらずに、あたしたちの上に広がってるんだよね。
監督は、とても正直で優しい人なんじゃないかな。楓を演じた水井真希も。
嘘つきはこんな風に作れないし、こんな風に演じられない。
もっともっと、世の中に広がるといいのにね。
全ての偏見やボーダーを打ち消す、美しく青い空が。
橘ジュン(VOICES MAGAZINE編集長)
『手首を切って
薬をたくさん飲んで
“心はそれで
救われるの?”
遠くから
聞こえた気がした。
救われない。
救われないよ、
こんなことじゃ。
でも、
無意味な痛みを重ねて
それで心の痛みを紛らせるなら
まだ私は生きていける、
そう思っていた。
手首を切ることをやめて
薬をたくさん飲むことをやめている、今
どうやって生きていけばいいのか
わからない。
そう思った。』
~Another Voice~私に届いたあなたの声より。
目を背けたくなればなるほど「現実」なんだ。
ジョニー・トー(映画監督)
この映画祭に主演女優賞があったなら、
それは間違いなく『終わらない青』の水井真希だ
小谷忠典(映画監督)
楓には友だちがひとりいる。
その友だちの名前は死。
この映画には、フィクションがリアリズムに席をゆずる瞬間がある。
ラストの楓の厳重な目は、実世界を反映している。
ロブ@大月(「リストカットシンドローム」著者、自傷・虐待アドバンザー)
この映画を見て絶句した。
僕が取材してきた自傷癖のある女の子たちの当てはまるパターンのオンパレードだからだ。
もちろん、性虐待のような全て同じ背景を持っているわけではない。
自傷癖はあくまで、精神疾患の一つかまたは一過性の麻疹のようなものである。
ただ、それが精神病理となって現れるとき、この映画の中に描かれる
壮絶な虐待や見えない「いじめ」などが複雑に絡み合っているケースが多い。
僕は、拙著2000年に『リストカットシンドローム』上梓以後
ずっと自傷と自殺をテーマに取材や相談に応じてきた。
一方で、自傷行為のリストカットがネットの普及でカジュアルになり、
ケータイ小説の中に「リスカ」とした登場人物のように出てくるようになった。
ケータイ小説は、読みやすものが多かったが、
扱うテーマは、「リストカット」・「性虐待」・「中絶」など
重いトラウマになるものが、てんこ盛りだった。
その結果、重いトラウマを引き起こす自傷行為などもポップな感覚になり、
病理としての側面が薄くなっていった。
しかし、2010年事態は急変した。
年頭からの虐待報道で、被虐待児は自傷やリストカットがよく見られると報道された。
虐待は、性虐待・身体的虐待・心理的虐待・ネグレクトの四種類に分かれると本には書かれている。
けれども実際には、これらが同時多発テロのように暴力として子どもを襲うことが多い。
そして、この「終わらない青」で描かれる性虐待は
未だに当事者は、事態が深刻化しても言えない子どもたちが多い。
この映画の重みは、当事者ではなく
それ以外の人々が「心の痛みを疑似体験できる」ところにある。
良い意味で緒方監督が、深い理解をせずに
見聞したままの自傷や性虐待の実態を映像化したからこそ、伝わる「痛み」がある。
この映画を観た後に、傍観者が様々なトラウマを抱えた人間の現実を直視することが
どれ程「痛い」かを感じ取れたら、心の苦しみを抱える人の一助になって欲しいと思う。
玄 秀盛(日本ソーシャル・マイノリティ協会【新宿救護センター】)
率直な想い。
観た 「虚無感・残尿感。そうや 現実なんや!!」
心に浮かんだ。
感想です。
日々、いろんな人々が訪問に来る
真相・深層、問うてる暇はない 今の現実から導く以外にない。
西村喜廣(映画監督)
水井真希、水井真希、水井真希。
この映画で一番心に残って、一番グサッと来るのは主演の水井真希だ。
今回、はじめて役者水井真希の本当の演技を観た。
自身が本当のリストカッターだったりしたせいもあるが、
映画はドキュメンタリーよりも、もっとリアルに観客に訴えてくる何かがある。
わかる、わかります。
それを画面で見てほしい。
吉田浩太(「ユリ子のアロマ」監督)
緒方監督との初対面は、確か半年ほど前の自作の上映のときだった。
さわやかで物腰柔らかな印象だったが、
その奥に潜む、じっとりした鋭利な何かが潜んでいたのを、覚えている。
それが何だったのかその場では分からなかったが、
なるほど映画を見てみれば何となくわかったような気がする。
ひどく歪んで醜くて、嫌悪感からしか生まれえない純粋なもの。
緒方監督に潜んでいるものは、そういうものだ。
そういうものを惜しげもなく曝け出してくれる人を、僕は心底嫉妬する。
この映画を見るのは、相当の覚悟が必要だと思う。
曝け出してきたものを、塞いでしまうのではなく、
正面から受け取る覚悟が必要なのだから。
月足栄一(映画監督)
病んでる、病んでる。病んでるねえ!
なんという後味の悪さ!!(もちろんいい意味でだよ)
心の闇の中の塊をえぐり出して、それだけを描写したような作品。
FIXのロングショットで淡々と展開しているのに全く途切れない緊張感。
目を覆いたくなる父と娘のいびつすぎるコミュニケーション。
いや~なリアル感を増幅させる音処理。
その中で目をひく色彩美。
すばらしい作品だと思います!なんか後ひくねえ。
帆根川 廣(映画監督)
『終わらない青』との出会いは、緒方監督が
僕の初監督作『エンプティー・ブルー』を劇場で観てくださり、知り合ったことからはじまりました。
最初に本作を観たときの衝撃は、近年には他に思いあたらないくらいに強烈でした。
ただその衝撃は、この作品の特徴でもある過激な描写によるものだけではありません。
それは本作が、『エンプティー・ブルー』のテーマでもあった「希望とは何か」の問いを、
自分とは全く異なる、独創的で半ば乱暴とも言えるような方法で、
見事に表現することに成功していたからだと思います。
主人公・楓を取り巻く目をおおいたくなるほど残酷な現実。
絶望的な日常が淡々と続く中、それでも一瞬垣間見える表情に、
「希望とは何か」、「それは何処にあるのか」という問いの答えを見た気がします。
今、僕の一番の関心は、この『終わらない青』が観る人にどう受け止められるのか、ということに尽きます。
この文字通りの「問題作」からどのような答えを導き出すかは、
観客がどこまで深く掘り下げて現実と向き合っているかに掛かっています。
麻屋@霞 寿(障がい者ジャーナリスト•家畜人工受精・分娩師)
小学5年から39歳になる今に至るまで、 幾度となく繰り返したリスカ、アムカ、自殺未遂。
そして親になり、今、年頃のかわいい娘と毎晩お互いが力尽き、果てるまで身体を重ね合っている。
未成年や父親のわからない家出妊婦の分娩介助や、流産、死産処理も知識と経験がある
シゴト柄、非合法ながらも引き受けてきた。
そんなアングラ世界に生きる俺が、幾度もフラッシュバックに見舞われて、
目もあてられなかった映画がコレだ!
さすがに娘をはらませたり、強姦はしないが、作品中のベッドや床での暴行、
浴槽の湯水拷問は俺も時々しているので、あまりにリアルすぎた。
愛娘もこの映画を見て、なんにもしない実の母親をオーバーラップして、ふるえが止まらなかった。
元、自主映画屋の精神科医師に見せた。
いわく「俺が10歳若かったら治療に使っていた映画だ。今は怖くて手が出せない。」
この映画は、大麻やケシの実に近い効能がある。
見た後に、 頭がオカシクなるか、 活きる望みを見つけるか、
それとも 何度も見たくなる禁断症状に陥るか…。
緒方監督の処女作はあまりに重すぎるネタを、「青空」で上手くごまかした傑作だ。
主演の水井真希は、もはや演技ではなく、素のままの彼女のような気がしてならない。
緒方監督と水井真希の核融合が臨界爆発した、衝撃的怪作である。
にいやなおゆき(アニメーション作家)
『終わらない青』は、誰の物語か。
淀川に男児の遺体が流れて来たというニュースを、私はアルバイト先のラジオで聞いた。
今から二十数年前の事だ。
当時、私は大阪に住んでいて、淀川は毎日の散歩コースだった。
遺体は小学校低学年くらい。
警察は上流の小学校をしらみつぶしに当たったが、身元が判明したのは、二週間近く経ってからだった。
時間がかかったのは、彼が小学校に通っていなかったからだ。
子供の両親は出生届すら提出しておらず、その子には戸籍が無かった。
幼なじみ達が学校に行くのを見送り、彼は一人で遊んでいたそうだ。
彼を殺したのは実父か養父か、記憶は定かでない。
彼は、八歳だった。
バイト先のおばさんはニュースを聞き
「なんの為に生まれて来たんや」とつぶやき、吐き捨てるように言った。
「生まれてけえへん方が良かったんや」。
だが、その子の命は、誰の物なのか。
悲嘆の言葉とはいえ、「生まれて来ない方が良い」と言えるのだろうか。
わずか八年で終わったその子の人生を、しかし、いったい誰が、何の権限で評定できるのか。
『終わらない青』は、救いの無い映画だ。
ほとんどの観客は、そう思うだろう。
ストーリーの説明は控えるが、「あの子」の人生に、果たして意味はあったのか。
いや、それは人生と言えるものであったのか。
だが、愛し合いながらも、何故か負の循環に飲み込まれ、
そこから逃れる術を見つけられなくなっている家族全員を
繋ぐべき場所にいるのは、「あの子」だけなのだ。
『終わらない青』は、声高に問題提議をする作品ではない。
歪みの解決方法を示すわけでもなく、ヒーローの活躍でハッピーエンドになるわけでもない。
しかし、『終わらない青』を観た人々の心の中には、間違いなく「あの子」が住み着くだろう。
問うてほしい。
「あの子」は、何もしなかっただろうか?
「あの子」の命には、全く意味が無かっただろうか?
「あの子」は、我々に、何かを残さなかっただろうか?
家族が狂って行った理由は、分からない。
この社会全体の歪みが原因だろうが、それを正す処方箋など存在しない。
しかし、「あの子」に出会った我々の中には、何かの変化が起こったはずだ。
全ては、そこから始まる。
私は考える、「あの子」は幸せだったろうか。
即座に答えは浮かぶ。
「間違いなく幸せだった」。
母とともに雨に打たれ、果実を味わい、読書をし、青い空を見上げた「あの子」。
きっと「あの子」は家族全員に愛されるため。さらに、彼らの重荷を背負うために、やって来たのだ。
そして、さらに思う。
淀川を流れて来た「あの子」は幸せだっただろうか。「あの子」は、何のために生まれて来たのか。
「あの子」を愛した人は居ただろうか。 私には分からない。
しかし、二十数年経った今でも、私の中には「あの子」が住んでいる。
吉田博高(株式会社虎の穴 社長)
正直、これまで「自傷行為」というもの、「性的虐待」というものは、
ぼんやりしたイメージだけで知っていました。
自分自身とは遠い世界の話であって、強く意識したことはありませんでした。
でも、遠い世界の話ではなく、自分自身が生活する時間の中で、いまもどこかで起こっている
ひとつの現実なのですね。
ちょっと複雑な気持ちになりました。
この映画を通して、一人でも多くの人が
この「現実の」問題に気付き、よい方向に向かうようになれば、
と思いながら拝見させていただきました。
NON’SHEEP 佐藤雄駿(ロックバンドVocal)
家庭という悲しみの淵で這いつくばる彼女に、
無関心な優しさで寄り添えたのは『自傷』という行為だった。
安易な希望を徹底的に排除し、絶望の淵のギリギリのところで、
最後の最後で添えられる救いの手。
自傷しながらも生きていく。
その『生きていくこと』を必死で肯定しようとする。
安易なポジティブでは救われない、
もっともっと下の方で這いつくばる人に寄り添える優しさを
『終わらない青』から視聴者が感じ取ってくれたらいいなと思いました。
石崎チャベ太郎(俳優)
この「終わらない青」は問題作と言われていますが、
そういった事をあまり気にせず味わえる作品だと、僕は思っています。
つまり、この映画には、扱ったテーマに対する監督の意思と監督自身の力強さが
観た人の身体の中に入ってくる感じのそういった魅力があると、僕は感じています。
そして何より、映画の中からストーリーの想像力をとても刺激してくるので、
見終わった後は、「映画を味わった」という感覚が残ったのを覚えています。
こういった作品が、日本にどんどん生まれて欲しいと、強く思います。
(女優)
確かに、
空はどんな時もただそこに在り、あたしたちを助けてはくれません。
けれどもその青い空の下で、どんなカタチであれ、
誰もがこうして生きていられることが全てな気がします。
あたしは死にたがりの狂言者はキライです。
だって死はどんな時も、あたしたちの傍らにあるものだと思うから。
生きることも死ぬことも、刹那ではなく、常に同じ、等価値なのだと思います。
あの父親のように、自らの弱さを暴力に変換して、生きながら死んでいる弱虫は、
一生空の青さなどわからないままなのでしょうね。
楓は最後、駅のホームのトイレで、初めて自分のために自分を傷つけたような気がしました。
それまでの自傷行為とは違う、本当の痛みを知りたかった、知ることが出来たのではないでしょうか。
チラシのコピーに書いてあった、救済や奇跡など現実にはあり得ないと書いてあった言葉は、
確かに、と思う部分もあります。
でも、ヒーローなんか現れなくても、
自分だけは、自分を救いあげることが出来るのだという光は、残されているとあたしは思います。
この先にどんな作品をお撮りになるのか、気になる今日この頃です。